エンディング会議

人生

・ 講演会のお知らせ

夫の時に世話になった 葬儀社で 講演会という知らせ

3週間くらい前に聞いて… でも、もう私は 終わっていることだし

その気がなく経過していた 

今朝 早朝に目が覚めて 眠れないので ラジコのタイムフリーで

昨日の放送を聴いた… その中でまた 募集人員に余裕がある話をしていた

朝の9時を待って まだ空きがあるか電話をしてみた

すると 大丈夫だというので 申し込むことにしてお願いした

何気に 友人にどうかと訪ねると 予定もないので出席したいという返事

なので追加して ふたりで出席したいと 申し込みをした

・ 我が家のエンディング会議

そんなに大それたものではないけれど 少しづつはしていた

7年前に母親を見送った時の事… 認知はあったけれど お墓はどうしたいのかと?

私は外に嫁いだ身としては もう実家の墓を守ることはできないし

実家の墓というのは まったく変なお墓で 色々な人が入っている

そんなところにしゃしゃり出たり 巻き込まれたくないし

でも、母親の片付けはしないといけないし

私は家族の中で 最後に残った者で 自分で決めるしかありません

母親に 父ちゃんと一緒のお墓じゃなくちゃ嫌なのかと 聞いたら

一緒じゃなくていいよ~ と母が言った それじゃ違うところでも?

私が出来るところでいいですか? と聞いたら いいよと言った

母は私にすべてを託すしかなかった… 他に居ないんだから仕方ないよね

どうしても母親が 父親と一緒でないと 嫌だと言ったら どうしようかと思っていた

やがて どんどんとその時は迫って来て 私は仕事を辞めて

施設から 母親を自宅に引き取って 半年ほど家で看て お看取りをした

母親の死に方は まったく苦しくもなく 寝ていることが多く 気が付けば

まだらにボケていて… 何とも理想的な… 終末期

次第に 寝ている時間が増えて 食べが悪くなり ガリガリに細くなった

それでも訪問入浴で 好きなお風呂は 最期まで入れてもらっていて 気持ちよかったと

そのうちに水も飲めなくなり 枯れていくように 息を引き取ったのだった

本当に 食べられなくなり 飲めなくなり 自然…

まぁ‥沢山苦労はした人生だったけど 最期は苦しむこともなく 静かに

大騒ぎはせず 死ぬ前に会いたい人には来てもらったし 

私とふたりで これでいいよね‥って言いながら‥夫には迷惑はかけず

お見送り 死亡診断は 「老衰」  直葬・葬儀無し・海洋散骨

・ 私たちの最期の事

母親は新潟の海に結構ご縁があったので 新潟沖に散骨して頂いた

その時に 私たちも その時にはそうしたいと 決めたのだった

夫は 東北の太平洋が希望だよと…  私は どうしようかなぁ~

夫は お経や 線香は 嫌だなぁ~  私も同じ

そっと 静かに この世を去って 散骨してもらって 元素に還る

ふたり一緒には逝かないから どちらかが残る

残った方は 約束を 希望通り決行して 自分のことは娘に託す

しっかりではなかったが… 確認し合ってそういうことだよねと

何度か‥時折 話しながら なんとなく決まっていた

なんと6年後に その時が来たのだった! ちょっと! 早すぎですけどね

でも、しておいて良かった… けれど変わることもあるから 怖いと思って

最期の日かな? どうするの?って夫に聞いたら

「決まってるだろう、直葬と海洋散骨だよ」って ぶれてはいなかったのだ…

そして 私の時も このようにしてね … と

娘に話して 良く見ておいてねと 方法を頼みました 

もしも癌になったら 夫の主治医だった 緩和ケアの先生に 治療なしで緩和ケアで

葬儀社はここで 直葬・葬儀無し 海洋散骨

夫を散骨した 東北の太平洋 松島沖 これがとても良かった

私も夫を追って 松島にお願いします 合同散骨でいいです

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