☆ 生きていたなら 71歳だよ
あなたと同じ年の姉ちゃん・・5日しか違わない
53歳の時に死んでしまった・・ショックだったよね
でも、本人はけっこう覚悟をしていた・・
辛いのは・・周りです・・
肺がん・・・誰も私たちの周りに 癌の人はいなかった
3人の娘たちは なんとしてでも 治療をしてほしいと望んだ
本人は 「もういいんだよ」・・・って言っていたけど
最後だから・・子どもの望むようにしてやりたいと
化学療法に臨んだ・・・が 効果は全くなし・・
☆ 治療
初めの薬の組み合わせで 効果が無くても 薬を変えると効果がるかもしれない
そう言われて、まだ望みを託したい子どもたちは してほしいと言う
もうこうなると・・自分の為ではなく、人のために治療をする という事
2回目の化学療法が始まった・・・ひどい副作用です 髪も抜けました
効果は全くありませんでした・・・
もしかすると、姉は生きることの希望がないのでは?
と、勝手に思いました・・。
効果どころか、体力は著しく落ちます・・
さすがに、3回目は「もう勘弁して」と言いました。
娘たちは わかってくれたようで、治療を断念する決断をしました。
もう20年近く前のことですから 治療方法も違います
☆ 残りの時間
さて・・治療を望まないとなると、退院してほしいという事です。
でも、おうちには帰りたくないと言うんです
じゃぁ・・どうするか・・
近くにアパートを借りて、みんなで看るか・・
人手はあります、娘3人+私 やればできます。
でもまだ、今のように 地域医療が整っているとは言えない状況です。
色々思案しながら・・・相談です
そして・・緩和ケア病棟に行ける話が舞い込みます。
本人が病状を解っていること 家族の同意があること
積極的な治療ではなく 辛い症状に対しては 緩和的な処置を行う
という事で、みんなで納得して・・移ることになります。
☆ 大事な時間
そこからは、本人の覚悟と 子どもたちの覚悟と
残りの時間を みんなで過ごす
脳への転移もありましたから 本人的には少し良かったかな?
長女は 介護休暇をとったりしながら 姪っ子たちは
それなりに 受け入れていけたと思うし 笑う時間が多かったのは何よりです。
年老いた母親には 知らせずに 入院生活をしていました。
みんなにも知らせないでほしいと 特定の人だけに お知らせでした
姪っ子たちが看ていたので 私は週に一度くらい 覗きに行きましたが
穏やかな日々を 過ごしていました お別れも出来たでしょうか?
そして ひな祭りの ごちそうを食べたあと・・静かに最期の時を迎えて
旅立ちました・・・・
姪っ子たちは あとになれば 効かない治療なんて しなければよかった
と言いましたが・・望みに懸けたのですから・・それは良しで
姉も・・私はいいんだけどさ・・みんながしてくれって言うから するよ・・と
みんなの期待に応えて 去っていきました・・ ありがとう~