・ 穏やかな最期
7年前の今日 老衰で84歳 旅立ちました
最期が近いので 私は仕事を辞めて 有料老人ホームから退去して
半年ほど私たちの自宅で過ごしました ほとんどまだらボケ状態でした
よく寝るようになり 大好きな入浴は 訪問入浴で入れてもらっていました
徐々に食べられなくなり、飲めなくなり 終わりの時を迎えます
お看取り 生まれた時も一人だから 終わる時もこれでいいよねって
静かに いい旅立ちでしたよ
残っている兄弟姉妹には 生きているうちに会いに来てもらっていた
そして静かに終ることを 承諾してもらっていた
孫たちも同じように 伝えていて 会いたいときには来てくれていた
夫と私はふたりで そっと送る準備をしていたが
火葬の時はみんなが来てくれたので 母は喜んでいるかな?
うちは短命の家庭なので 今のところ1番の長生きの母親
母親の兄弟姉妹は10人 父親は51歳 母親は60歳で 旅立っている
母親は長女で 働く親に代わってほとんどの子供たちの面倒を見たという
兄弟姉妹の子育てがあるので 学校にも思うように行けなかった
子どもを負ぶって 教室の後ろで立って 授業を聞いていたという
貧しい田舎で 子どもが多くて とても大変だったのだと
幼いころに 4人亡くなっているので 6人が無事に育っている
長女でありながら 母親の年齢を越えている兄弟は まだ誰も居ない
残っている 母の兄弟姉妹は あと3人 今のところお元気です
親子ほど年の離れている 一番下の弟は 60歳でみんなより先に逝ってしまった
・ 母の家庭
20歳で父と結婚して 21で姉が生れ 25で私が生れ 4人家族
母が59歳の時に 夫である私の父は62歳で他界
母が74歳くらいの時に 長女である私の姉が53歳で他界
短命の家庭なのであります… その中で84歳の母親ですから まぁまぁですかね?
つまり残っているのは 私だけです 私は母を越えたくないです
私しか残っていないので 色々なことは私がしました
そしてあれから‥ 7年が過ぎたのであります
今朝はふと 私は永遠に母親のことを思っているんだなぁ~ 子どもだから…
あら? 父のことは?と思い返した … 穏やかに笑っていた
父親が死んで もう34年も過ぎている しかし父親のことは母親がしたので
私にとっては印象が薄いのだ… 慌てて父はいつが命日なのだと今朝思い返した
長い時間が経ってしまって 色々あり過ぎて 父のことも ないがしろにしている私
父との昔のことを思い返してみる
人生って ほんとに そして色々な沢山の人と お別れをしてきて…
歳をとるって そういうことなんだね…
母の人生を思うと ほんとに苦労の連続で それを生きて来たんだから強いよね
不平等だと思うけど 人はそれなりに 生きるということなんだね
よく母が言っていた 「お前もこの年になってごらん…
バカになるとは 聞いていたけど ほんとにバカになって困る」
夫と私は いつもそれを聞いて 笑っていた… その夫も死んでしまった
父親と夫が重なる… 余計なことは言わずに 働き 子どもからの印象は薄い?
みんな逝く先は同じ? もれなく…